市販車のブレーキチューニングについて考える(前編)


さて、始めにまたちょっと出題です。 今回は、フルブレーキング時の制動距離に関する問題です。

市販車の、サスペンションのバネレートを前後共に上げると、フルブレーキング時の制動距離はどうなるでしょう?
( 車高は、下げていてもいなくてもどちらでも同じです。)
第4部の、サスペンションとブレーキ性能の関係 を参考にして、ちょっと考えてみてください。

1、伸びる。
2、縮む。

ちなみに、判りやすくする為に、今回は2輪駆動の車と言う事にします。
ABSは、付いていてもいなくても同じです。 また、サスペンション以外は何も変えないことにします。

これは、今までのブレーキの話と密接に関係しています。 が、、、ポイントは、市販車のブレーキと言う事ですかね。

さて、答えに行きますか。
ここで、2の「縮む」と答えた人は、今までの話が理解できた人かもしれませんねっ。
しかしながら、ここでの答えは、1の「伸びる」です。
経験からもそんな気がしませんか?
ここら辺が、市販車のブレーキチューニングが難しい理由です。

それでは説明に入りましょうか。

まず始めに、とても重要なことを書いておきます。
それは、「市販車は常にアンダーステアである」と言うことです。
これは、加速時でも、減速時でも、共にそういう風になるように作られています。
(厳密には、アンダーステアと、オーバーステアには正確な定義が有るのですが、実際に本来の意味でのオーバーステアの市販車は存在しません。 よって、一般に使われているのと同じように、ここでは 前輪が先に限界を超えて滑り出すのをアンダーステア、後輪が先に限界を超えて滑り出すのをオーバーステアと説明することにします。)

つまり、ハンドルを切りながらブレーキを踏んでも、アクセルを踏んでも、ノーマル状態では(特殊な操作をしない限り)アンダー方向に行くようにセッティングされています。
その主な理由は、安全対策です。

これは、一般人は、アンダーステアに対しては感覚的に対処できる(加速時だったらハンドルを切り足してアクセルを抜く、減速時だったらハンドルを切り足す)が、オーバーステア、つまりスピンモードに入ったときに、加速時ならカウンターステア(逆ハンドル)を切りながらアクセルを戻さずに 、キチンと踏みながらコントロールをしたり、減速時ならカウンターステアを切りながらブレーキを戻してコントロールする、という、人間の感覚とは逆のことをする必要があるからです。
これは、訓練をした人でないと出来ないという、メーカーの判断でしょう。

他にも衝突時に、アンダーで曲がり切れずに正面から突っ込むより、スピンの方が正面衝突よりも危険な、側面衝突などを受ける確率が高いなど、色々な理由が有るようです。 公道でのスピンと言うのは、本当に危ないのです。

さて、この「市販車はアンダーステアである」と言う事を理解しておくことが、車を運転したり、チューニングする上で非常に重要な要素となってきます。

そして、 ブレーキング時にアンダー方向にする為には、後輪よりも前輪を必ず先にロックさせる必要があります。
これは、いいですよね? 後輪を先にロックさせると、サイドブレーキを引いたような状態になりますから。
当然、スピン挙動を起こしやすくなります。

つまり市販車のブレーキは、前輪を後輪よりも確実に先にロックさせるために、かなり前輪の方が強めに効く様に作られていると言うことです。
でわ、市販車はどのサスペンションで、前輪が先にロックするようにセッティングされているのでしょうか?
それは、当然ながら純正のサスペンションです。

知っての通り、純正のサスペンションは、乗り心地や様々な走行ステージなどを考慮しているので、柔らかめに作られています。サスペンションが柔らかい、つまりバネレートが低いと言うことは、サスペンションとブレーキ性能の関係に書いた通り、ブレーキング時の荷重移動が大きくなりますね。
 
そうすると、後輪に対して前輪の荷重が非常に大きくなり、フロントタイヤのグリップ(摩擦力)も大きくなりますね。
よって、前輪をロックさせるためには、後輪に比べてかなり強いブレーキの力が必要となるわけです。
逆に、後輪の荷重は殆ど抜けて、リアタイヤのグリップは下がり、弱い力で簡単にロックさせられるわけです。
ポルシェのブレーキは、なぜ良く止まるのか?に書いた通り、殆どの車では、前輪に比べて後輪のブレーキが極端にプアなのは、それで も後輪をロックさせるのには十分だからです。

それ でわ、サスペンションのバネを固くしてしまったら??
これは、サスペンションとブレーキ性能の関係に書いた通り、ノーズダイブ量は減り、よって荷重移動量は減り、 前輪の荷重は減り、フロントタイヤのグリップも減りますね。
バネが柔らかいノーマルのサスペンションでさえ、前輪が確実に先にロックするように作ってあるのに、ノーマルよりも前輪の荷重が減ってしまってわ…。

当然、前輪の後輪に対するロックの限界は、はるかに下がります。
前輪は、荷重が少ないのに非常に強く効き、後輪は荷重が余ってるのに、弱く効くわけですから。
よって、サスペンションのバネを固めれば、簡単に前輪がロックしてしまいます。
逆に後輪は、グリップがたっぷり余っているのに、ブレーキは弱くしかかけません。

これが、制動距離が伸びる理由です。

ちなみに これは、車高調などでダンパーの減衰力を調整できる物を付けている人は、簡単に実験できます。
バネを交換するのは大変なので、フロントの減衰力を一番固くしてフルブレーキを踏んでみれば分かると思います。
バネを固くするのと、減衰力を固くするのとでは正確には意味が違いますが、フルブレーキング時に前輪タイヤへの荷重移動量を減らす方向へ行くという意味では、同じです。(厳密には、減衰力強化は荷重の移動速度を おもいっきり遅くする)

きっと、すぐに前輪がロックして、制動距離が極端に伸びるはずです。
ちなみにこの実験は、危ないほど止まらないので、実験する人は安全な場所でやってください(笑)。

余談ですが、車高調等で車高を下げると、重心が下がる為、車によってはサスペンションとブレーキ性能の関係に書いた図2の重心とピッチング軸が近付き、ピッチング量が減ります。
よって、更に荷重が移動しにくくなり、前輪がロックしやすくなります。

市販車というのは、全てが緻密な計算によりバランス良く作られていて、一か所でもいじると、たちまち他の部分のバランスが狂います。 よって、それらをトータルで理解してチューニングを行う事が重要です。
今回の例からも、いかにノーマル車をいじるとバランスが崩れるのかが分かりますよね??

さて、しかしながら第四部で説明したように、荷重の移動量が減れば後輪の荷重配分が増えて、本来ならば後輪も制動に大きく貢献できるため、「サスペンションを固めるほど、制動距離を縮められる素質が有る 」、と書きました。
それなのに、実際に足を固めると制動距離が延びてしまっては、意味が無いですね。
ただ、今まで書いてきた、「そうなる理由」が理解できれば、解決も容易なはずです。

市販車のブレーキは、アンダーステア方向にするために、前輪のブレーキ配分が極端に大きかったわけですね?
そして、サスペンションを固めることで、前輪の荷重配分が小さくなり、より前輪が先にロックしやすくなるわけでした。
と言う事は…、答えは簡単ですね。

後輪のブレーキ配分を増やしてやればいいだけです。


少し定量的に行ってみましょうか。
またまた、今までの1200Kg の車を考えてみましょう。
ここで、に書いたように5Kg/mm のバネと、10Kg/mm のバネの2つのバネを付けた車を考えてみましょう。

5Kg/mmのバネでは、フルブレーキング時の前の荷重が、800Kg。後ろが400Kgでしたね。
次に、10Kg/mmのバネにすると、前の荷重が、700Kg。後ろが500Kgでした。

理想的な制動を行うためには、理論的には「前後のタイヤが同時にロックするブレーキバランス」と言う事になりますね。
そうであれば、前後どちらのタイヤのグリップも残っていない状態ですから、それ以上の制動力は有り得ないという事です。
よって、5Kg/mmのバネの車では、ブレーキの理想的な前後バランスは、800:400になりそうですね。
荷重の前後バランスそのままです。ただ、厳密には、タイヤを太くすると何故グリップが上がるのかに書いた通り 、タイヤのグリップは非線形で、荷重が大きくなればなるほど荷重を乗せてもリニアにグリップが上がってくれなくなります。
つまり、800:400では、実際には前輪が先にロックする事になりますが、今回はちょっとそれを無視してみましょう。
次に同様にして、10Kg/mmのバネの車では、ブレーキの理想的な前後バランスは、700:500になりますね。

さて、もう分かったと思いますが、サスペンションのバネを固めると、ブレーキバランスを変える必要が有るのです。
純正のブレーキシステムは、サスペンションのバネを固める事を前提に作られていません!
よって、具体的には純正のサスペンションの時よりも、後輪のブレーキ配分を大きめにする必要があるわけです。

余談ですが、レーシングカーにはブレーキバランサー(前後のブレーキの強さのバランスを変えられる装置)が付いていて、更にコックピットにバランスを変えるコントローラが付いています。
それにより、ドライバーが走行中に、ブレーキの前後バランスを変えられるようになっているのです。
これは主に、ガソリンの残量により車の前後重量配分が変わるため、それに対応するための物です。
この話からも、 前後のブレーキバランスは、それだけシビアで重要だと言う事がうかがえますね。


今回の説明から、車高調などを入れて「サスペンションだけ固くして終わり」、というチューニングは、いかに本来の車が持っている性能を殺しているのかが、判ると思います。
インデックスに書いた通り、スポーツ走行において、ブレーキングは非常に重要な要素なので、これは何とかしたいですねぇ。


おっと、少し文章が長くなったので(笑)、後編へ続く…

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